MtG訳記た。

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物語にのったプレイのすすめ(The Benefits of Narrative-Driven Play by Jadine Klomparens)

The Benefits of Narrative-Driven Play by Jadine Klomparens - Magic the Gathering (MTG)

より。

 今回の記事、特に後半部分はうまく直訳できなかったためにひどく意訳しちゃってる部分が多くあります。原文と見比べながら進めていくことを強くお勧めします。

 また、本日初めて、月間訪問者数が10000人を突破しました。これからも当ブログをよろしくお願いします。

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 マジックをうまくなる方法として、目的意識と計画立てを学ぶ、という者がある。この教訓は簡単に、そしていつも様々なフォーラムにおいて語られる者であり、「前向きに考えろ」「どう動くか考えろ」「マッチアップにおける立ち回りの違いを意識しろ」……ただ、普段言われていないだろうこととして、「そのプランというものは、この状況においても有用なのか図れ」ということがあるように思う。今回私は、自分で思っているこの手の助言として、「状況に合わせたプランの作製とその遂行」という者について語っていきたい。

  この考えに至るためには、マジックのゲームを一つの物語としてとらえる必要があるだろう。友人にゲームの内容を伝えるとき、私はちょっと考えて、そのゲームの内容を噛み砕いて表現するようにしている。そのときにゲームに影響を及ぼすような細部については特にきちんと説明するようにしている。プレイ中にはこのゲームはどのように進もうとしているかについて自問自答し、その答えをもととして話の流れが自然につながるようにプレイ方針を固めている。

 この話を続ける前に、このやり方について、何も特別な要素はないという点については強調しておきたい。あくまでこれは私がゲームを見るときに用いているレンズのようなものでしかなく、私がこの方法を用いて成功したというだけである。私は昔から本や映画といった物語が大好きだったのでそれを用いて理解をするのが楽だった、というだけなのかもしれない。自分に合っている見方でゲームを理解するのがきっとあなた方にとっても有用となるだろう。

ゲームという物語

 ゲームをするたびに、マジックは異なるストーリーを私たちに提示してくれる。たとえいずれのゲームの目的も、生き残り、勝利するというものであっても。例えば、大量の赤のクリーチャーの軍勢によってあなたが危機に立たされ、あなたが生き残るためにはこの戦場をぐちゃぐちゃにする嵐を引き起こし、より強力な呪文を唱えるだけの準備をしなくてはならなくなるだろう。例えば、手札が6枚だけしか存在せず、できるかぎりゲームを長引かせる事で互いのドロー枚数を実質ほぼ同じにする必要にかられることもあるだろう。この場合、どちらもこのゲームの本質は「早急な負けという恐怖」に晒されているということであり、このゲームにおける目的は至極単純であるのだ。「生きよ」ただそれだけなのだ。

 まあこれはあくまで単純な例であり、実際に自分たちがその状態になったときには目的がそれであると認識する事はとても自然な事である。このようにゲームを一つの物語として理解するときに利点となるのはちょっとしたコンバットなどにおいてもそのストーリーにあわせて戦闘を行うか否かについて選択できる、という点にある。どちらのプレイヤーがより攻撃的かという要素だけで、ゲームは簡単に傾いてしまうのだ。それはカード枚数であったり、ボード制圧力だったり、もしくはテンポの取り方だったりする。この主軸に対してどのように振る舞っていくのかを考慮し、的確に振る舞う事によって、私たちは勝利へと向かう事ができるのである。

 強敵と相対したときには、このストーリーというものが正確に見えるような気がする。KTKドラフトにおいて、私はPartrick Chapinと対戦する事があり、そのときこのストーリーの中心にあったのは1G目に勝負を決めた火口の爪であった。2、3G目において、このゲームの中心となるカードは火口の爪であると判断して、コントロール型の青黒デッキを使っていたものの、それをあたかもテンポデッキのように動かし、火口の爪を拒絶するストーリーを作ろうとしたのだ。これによって勝利への道を開く事ができると思っていたのだが、実際はそううまくもいかなかった。

 大概のゲームというものは、このように精彩な物語を提示してくれる訳ではない。また、スタンダードのミッドレンジはプレイング技術などに勝敗が影響されず、毎ターンマナ効率を最大限に活用してカードを展開する事ができたか、に影響されているだけだ、という人もいるらしい。正直馬鹿げた言い分ではあるが、ゲームの進み方を見直す事によって勝利を手にしやすくする事はできるだろう。ストーリー性を意識した上でプレイする事によって、より多くのアドバンテージを得る事ができるのではないか、と私は踏んでいるのだ。まずはストーリーの違いについて、意識を向けてもらいたい。

物語にのったプレイの仕方

 この章における私の目的は、おそらく陥るだろうマッチアップ全てについてのストーリーを把握することである。こう言ってしまうととても面倒な事のように思えるが、実際のところそこまで種類は多くないのである。大概の場合、ゲームのもつストーリー性は数種類にしか分類できず、私はそれぞれに名前を付けている。例えば昨今のアブザンコントロールのミラーマッチは「羊毛鬣のライオンゲーム」と「太陽の勇者、エルズペスゲーム」の2種類に分類できると思っている。より攻撃的、テンポ的なゲームは前者であり、昨今の採用枚数の減少からこの手のゲームはおこりにくくなってはきている。後者は察しの通り、エルズペスを巡るひどい消耗戦である。

 そして、この異なる形のゲーム進行を見定めた後には、それぞれのストーリーにおいて、何が重要となり、何によって勝敗が決するのかを見定める必要があるだろう。この分析によってそのストーリーの中でのマストカウンター、マスト除去を見極める事ができるようになる。

 しかし、先もいったように全てのゲームにおいて明白にストーリーが展開されるということはない。極端な例を示してみよう。片方が「ライオン」、もう片方が「エルズペス」の物語を想定してゲームを進めようとした場合、どちらが勝つ事となり、そしてその決定的な要素となるのだろうか。このような例において、これを決定づけるのは何を引くか、という点に集約されることは覚えておいて絶対に損する事はないだろう。そしてまた、知り得ない情報をどのように扱うかによっても、この手の勝敗は決することとなる。もしデッキリストが対戦前にわかり、手札を公開してプレイしているのならば、コンピューターこそが最強のプレイヤーとなるだろう。対戦相手が自分の手札を、デッキを知らないという事実を利用して、相手の思い描くストーリーを思いっきり打ち砕くようなカードを戦場に叩き付けていくことで、勝利を手にする事ができるだろう。

 対戦ごとに、そして描く物語ごとに、最重要なカードは変化していく。しかしそのカードはおおよそ、見当をつける事ができるのだ。その知識はゲームプレイの中でも、そしてデッキ構築の際にも有用に働いてくれる。私はできる限り、ゲームの描く物語仁大して影響を与えてくれるカードをより多くデッキに入れるようにしている。そうすれば容易に勝利を手にする事ができるからだ。

負け試合をひっくり返すには

 マジックの試合における物語からの引用符としてもっともよく使われる用語としては「bad beat stories」があげられるだろう。それが勝ちを自分にもたらすものであったとしても、聞き入れたくなくなる、というものだ。ミラーマッチについて、少し考えてみてもらいたい。Tier上位のデッキ同士のミラーマッチというものは、使い手の腕に大きく影響される事となる。確かにある知識は真実であることもあるが、大概が真実の一片でしかないのである。広すぎる知識によって、本来このゲームが目指すべき物語を離れ、最悪の話へと話が転がっていってしまうこともある。これらの物語について、きちんと分析を進める事によって、本来勝利する事ができないゲームにおいても勝利へと少しでも進ませる方法を模索する事ができる。

 例えばRTR-THS期のスタンダードにおける、黒単信心のミラーマッチを考えてみよう。一般的な知識として、「地下世界の人脈がこのマッチにおけるキーカードとなる」といわれていたことについても覚えておいてもらいたい。ゲームは消耗戦となるため、ゲームが進行するにつれて地下世界の人脈を使う事ができたプレイヤーがより優位に立つ事になる。私が同じような状況になったとき、私はこの知識を使わないようにしている。たくさんの勝利や敗北を通じて、私はどのようなストーリーを刻むべきか、その断片を集めていったのである。そう、先の言説が当てはまらないストーリーが存在する事もあるのだ。除去よりもはやく、相手のライフを削りきることによって、相手がハンドアドバンテージを稼ぎだす前にライフアドバンテージを完全に奪ってしまうのである。この戦法は私にとってとても重要な秘策となった。先の言説はとても多くの人に知れ渡っていたために、人脈を無視していいときがある、という知識のメリットは相当のものであった。その知識をもととして、「一般的には」勝てないとされていたゲームをいくつも逆転してきたのはとても良い思い出である。

 どのようなドローがより好ましいかについてキチンと把握していることが、「物語にのった」プレイと「最初から決めつけていた」プレイとの差になることだろう。ここで、こんな反論も訪れるだろう。「物語にのろうとする場合においても、ある程度は最初から決めつけなくてはならないのではないか?ちょっと複雑すぎるぞ?」と。ちょっと落ち着いて私の話を聞いてほしい。物語にのるというのは、あくまで自身で決めつけるのではなく、他の事物から話を聞く事によってはじまるのだ。マジックのゲームにおいては、どのようにゲームが進むのかについて私たちは知識を持っていない。どのように進もうとしているのかに耳を傾け、そのストーリーをより自分にとって都合のいい者に変化させていくことが必要なのである。

 でははじめに、「最初から決めつけた」プレイというのは何なのか、これはもちろん自分が既にこの物語がどのように進むのかについて知っており、それを元としてゲームを進めていくというものである。次に、「物語にのった」プレイとは、進もうとしているゲームの方向を、自身の引きから判断する事で、できる限りそのドローが有効札となるように、ゲームを修正していこうとするものである。この違いについて理解し、後者をできる限り有用に運用できる事ができれば、勝利をより多く手にする事ができるだろう。きっと与えられた手札では到底勝ちようがないような事もあるかもしれない。物語が、このゲームが消耗戦となり、その戦況下でアドバンテージを得る手段に欠けるお前は確実に負ける、と「決めつけている」のならば、その「物語にのる」必要があるのだ。自身にとって都合の悪い物語が「決めつけられよう」としているのならば、それを少しずつ、自分の都合のいい方向へと進ませていくことが重要なのだ。

 そしてこれこそが、私の言いたい事なのだ。マジックのゲームを、物語としてとらえ、どのようにすれば物語を都合良く変化させる事ができるかについて考えながらプレイしなければならない。それによってゲーム中の場面転換点や重要となる伏線に気づく事ができ、それを見逃す事なく拾う事ができるようになる。都合良く話の進もうとする方向を変化させていく事によって、奇妙な、自分にとって都合の悪いゲームの進み方を既知の、都合の良いゲームへと帰着させることができる。

 もしこのやり方が自分には合わないと思っても、それは全く問題ない。あくまでこれは私の考えるゲームの捉え方の一種にすぎないからだ。世界にはたくさんのプレイヤーがおり、それぞれが全く違ったゲームの捉え方をしている。そして私の捉え方はゲーム中にちりばめられた伏線、布石からゲームを自分の既知の物語へと帰着させようとするものである。自分でもこんなにも曖昧な物事を正確に読み取ることは不可能ではあると思っているけれども、もし、これが皆さんの助けになるならば、マジックを一つの物語として、そしてゲームをより自分のよく知るゲームへと変化させていくことをおすすめしたいと思っている。今日ここで話した事も、きっと何かしらの物語を進めようとするのに役立つかもしれない、ということも覚えておいてもらえるとうれしい。

 読んでくれてありがとう。